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スタートレックピカードへ続く必見ボーグの物語 ブルーとの出会い
「スタートレックピカード」を観る前の予備知識として、ボーグに関するストーリーは欠かせないものだ。
特に「スタートレック ピカード」のシーズン1で登場するボーグの一人「ブルー」は、ネクストジェネレーションシリーズをよく知らない人にとっては誰だろう?と思ったことであろう。印象にも残らなかったかも知れない。
ボーグとは、機械化された生命の一種族であり、宇宙に存在する他の生命体を次々に同化し、他の種族を征服する脅威となる存在なのだ。
彼らは、他種族の生命体を同化していくことで、個々の意識や知識を一つの共通意識と呼ばれるものに吸収していくことを使命としている。心を奪い同化した仲間を増やしていく。そうやって宇宙を征服しようとしているのだ。
スタートレックピカードで登場するボーグの中に、ブルーという存在がいる。本当の名前は「NO.3」。今回の「I,Borg」というストーリーで初めて登場する。
そのブルーとの懐かしい再会のシーンがスタートレックピカード シーズン1にはあるのだ。
このブルー、どんな過去のストーリーがあったのかは、スタートレックピカードを楽しむためにも先にチェックしておきたい。
スタートレック ネクストジェネレーションのシーズン5の第23話。トータルでは123話目のストーリー。
この「I,Borg」は、ボーグによって辛い経験を持つピカード艦長とガイナン(ウーピー・ゴールドバーグ)が中心となりボーグとの対立関係が基本となり物語は進む。
ボーグは種の集合体としての意識は持っているが、一人一人個人として独立した意識が無いのが常識と考えられていた。
「お前たちを征服する」を口癖にしているボーグ。
彼らボーグは自分のことを指すときには必ず「我々」という表現を使う。「私」という個の概念が存在しないのだ。
この物語のタイトル「I,Borg」は、普段は「We,Borg」「我々はボーグ」となるものを、「I,Borg」「私はボーグ」となっている通り、個の存在を初めて意識したことを意味したものだ。
ボーグは下画像のようなボーグキューブという都市としても機能する、宇宙船で銀河を移動する。
全てのボーグは共通意識として、個々の精神がつながっている状態なのだ。一つの集合体として繋がる意識の中では、常に他の存在の声が聞こえ続けているのだ。
そして物語では、集合体から切り離された個の意識の芽生えにブルーが直面することで、様々なボークに対する考えが変化することになる。
そのブルーが後々のストーリーへと繋がって、スタートレックピカードまで続く。
物語自体の紹介はここまで。ここからはこのストーリーから学べるものに深く入ってみよう。
ボーグの存在から見る人類の秘密とは
このボーグのストーリーからちょっとした気付きを得られる。
ここからは、ものすごく突拍子もない話をしてみよう。
人間の心はどこにあるか?
心は脳の中にあるのか?
私たちは心と定義している、そのものを見ることは絶対にできない。
手にも触れることはできないし、目にも見えない。 よくご存知の通り心というのはそういうものだ。
もしも、そんな「無」のような心が別の何かの存在と繋がっているとしたらと考えてみよう。
ボーグの集合意識のように。
人間が感じることができる次元というものは数少ない。物理学の世界の話では次元は20次元以上も実際に存在するとされている。
私たち人間として、唯一別の次元へ通ずることのできる存在があるとすれば、それはなんだろうか。
あなたもご察しの通り「心」ではないだろうか。
さらに大胆に推測(妄想)を加速してみよう。
ボーグは人間をモチーフにしたものか?
もしも人間の心は、集合意識から切り離されたボーグと同じ存在だとしたら。
このボーグに関するストーリーの作者の意図が、私の思う「ボーグ=人類」かどうかはわからない。
作者が同じように「ボーグ=人類」を意図したものだとすれば、普通には理解できない、かなり奥深くに隠されたものでもある。さすがに誰もは気付けない。
人間の心が切り離されているということを前提に考えてみると、戻るところがあるという前提にもなり得る。
人間として意識の存在「生」として地上に生まれ、そして「死」として朽ちて消えていく。
切り離され、そして元に戻るタイミングがそれぞれ「生」と「死」と想像するのは容易い。
このように考えると、もしかすると死は終わりを意味しないものかも知れない。。
集合意識のあるところは天国か
死は人間個別の意識が集合意識に戻るところ?。そう考えると「天国」の概念も腑に落ちるかも知れない。
よくありがちな概念として、自分が死ねば天国で先祖に再会できる、亡くした大切な誰かと再会できる。
それらは、死ぬことで集合意識の中に戻るとすればあり得る話かも知れない。当然、証明のしようはないが。
死を過剰に恐れるくらいなら、こういう考え方で受け入れることも一つだ。
繋がりは途切れないものだとすれば
生と死以外のタイミングで集合意識と繋がることができる場面があるとすれば。。
これが日常目にした場合、普通に気味が悪い話だ。心霊的な話の一種と捉えることができる。
しかし、そういったものを科学的には証明はできないものの、納得のいく答えとして選択肢を増やす程度にはなりうるだろう。
また、これも極論で非科学的な考察であるのは目をつむっていただきたいが、多重人格などにも結びつけることもできるかも知れない。
今の人類の持つ手段ではどうやっても結論付けることはできないが。
まとめ ボーグのストーリーから学ぶこと
作者は生と死の概念をボーグに重ね合わせたのか、本当のところはわからない。
ボーグの存在は、生と死の境目に対する考え方を変えてしまう一つの考え方と捉えることもできる。
繰り返すが今のところ絶対にわかり得ないものなのだ。
最後に、共通意識の存在を考えてみよう。
仮定に仮定を重ね合わせており、馬鹿げた話だが、もう少しだけ進めよう。
人類を超越するような共通意識を操る何かが、この世に向けて個別の意識を放つことで一つの生命として命を宿す。
そして生命として一生が終わり、やがて共通意識に戻る。心が戻るところ。
このサイクルは何を意味するのだろうか。
私たちには何かの目的があり、その目的を果たすために、この世界に降り立っているのだとしたら。その目的とは何だろう。
知識を得るためだろうか。。
それには少し違和感を感じる。
心を豊かに、精神を磨き、崇高なものにすること?
人間が想像できるのはせいぜいそんなところだ。
人間として素晴らしい人となりこの世に貢献し去っていく。
素晴らしい人生とされるものだ。
そうすることで、集合意識にどんなメリットがあるのだろうか。
空想にふけるには楽しい課題だ。
永遠の答え探しをその時が来るまで繰り返そうか。